2014年7月9日

【今から都営住宅へは被災者枠は無い?】6月9日院内集会報告⑶

キビタキの会では、原発事故避難者の安定的な居住を求める政府(復興庁、内閣府、国交省)との懇談会を、2014年6月9日(月)参議院会館 B103会議室にて行ないました。
南相馬市から避難中であるAさんの発言模様を、速記録から紹介します。

避難者:私の事情をお聞き頂きたいと思いますが、私は、福島県南相馬市原町の区役所近くに住んでおりまして。第一原発から25キロの地点なのですが、事故当初は全く屋内待機という事で、避難したほうがいいのか、しなくていいのか全くわからなような状況だったので20キロ圏内には避難指示が翌日に出て、みなさんクモの子散るような感じでいなくなっていて、20キロ圏外30キロ圏内のところは非常にファジーな状態に置かれていたところなんですね。でも実際的には町はもう翌々日あたりから若いフットワークの軽い層から避難していまして、瞬く間にゴーストタウンになっていました。

私は、私と両親と娘で暮らしていたのですが、原発事故当初は、娘は東京の方に進学していまして、私と私の両親と3人で暮らしていたのですが、結局両親は、母もあまり体調がよくなかったのですが、父が認知症になっていまして、どこの避難所にいっても周りの方に迷惑かかるだろうという事が安易に予測できるような状態だったので、致し方なく横浜の方に姉が一人おりましたので、そちらを頼りに両親を連れて避難したという状況なんですけれども。父は瞬く間に認知症が進んで、数ヶ月後には自分の事も家族の事も認識が出来なくなって、今は横浜の特別老人ホームにお世話になっていますが。つれて帰ろうと思っても、地元の南相馬の方では施設がどこも300人待ち400人待ちということで、つれて帰れていない状態になってしまいましたし、避難解除になってから、言ったり来たりして、母は生まれも育ちも南相馬なので、もう帰りたい一心で、連れて帰ったんですが、私が行ったり来たりしている間に去年の3月1日に自宅で孤独死してしまいました。

娘は原発後のこの3年間の間に卒業して社会人にはなったのですが、なかなか解除しましたから帰って下さいって国の方では言っていますが、南相馬の方では噂とか環境とかが行き先暗い状態です。
帰れば仕事があるのかなと思うのですが、治安が悪いという、放射線の問題だけでなく、不安を抱えて希望が持てない町に帰れという説得ができない状況です。
そんな状況で両親を姉の所に預けて、自分は知人宅に避難したのですが、親を預けている時点で兄弟間に亀裂が入り、知人宅に3年間もお世話になってて早く入居したいっていう希望があるんですけれども、20キロ圏外ですと、東京電力からの賠償が一昨年の8月で打ち切られていますし、行政を頼らないで、知人宅に入ってしまったので、今度新しく入居しようと思っても、保証人もいないので部屋を借りれないですし。今本当に困っています。娘と一緒に暮らしたいだけなんですけれども、なんとかしていただけないでしょうか。

今まで精神状態も不安定で、なかなかこういう場に参加できないくらい精神的ダメージがあったんですけれども、今日はこういう機会があるということを知って、やっと少し体調も戻りつつあり、やっとこれから前を向いてしっかりしていかなければいけないと思いやっと出てきました。
本当に困っています。なんとかしてほしいんです。お願いします。


司会者:こういう事情の方にはどう対応できるんでしょうか?


避難者:今まで行政を頼ってこなかったのが、裏目に出てしまったのだと思います。
最初から都営住宅に入っていればよかったんですけれども、最初は皆様に迷惑をかけないように、迷惑をかけないようにと思って、家族を頼り、知人を頼りに、それが裏目に出てきてしまって、今になっては本当に困っています。どうしたらよいでしょう?


司会者:誰か答えてください。


政府側:知人宅に最初避難されたから、入居することができないということですか?


避難者:はい。時期が過ぎてからですが、そちらの方にも問い合わせましたけれども、もう一般都民の皆様と同じ対応しかできないという反応だったんです。あと何か方法があるんでしたら教えていただきたいと思ってきました。


政府側:たとえばなんですけれども、娘さんは今どんな暮らしをされていますか?


避難者:今は川崎の方で部屋を借りて一人で暮らしています。


政府側:たとえば娘さんにお部屋を借りていただくのは難しい状況なんですか?


避難者:結局経費が伴いますよね?
今は一人なので1Kで7万円という家賃がかかってますけど、2人で暮らすようになると、場所とかもあってなかなか大変になると思うんですね。都営住宅に入っていたら無償で入っていられたわけですよね?
私のような起点が聞かない人間はなにか、助けていただける方法はないんですか?


政府側:正直なところ、私たちとして、何かご支援できる制度は私たちとしてはないです。そこは非常に申し訳ないです。
あとは、非常に申しあげがたいのですが、生活保護とかセーフティーネットの方に入ってしまうのかなということになってしまいます。


避難者:私は結局避難してきても、こんなに厳しい状態なんです。20キロ圏内とか、帰還困難地域になると、私たちから見ればずっと手厚い保障がいただけて待遇も全然ちがうと思います。私たちはなんにもないんです。
この年になって東京で暮らすなんて夢にも思っていませんでした。原発事故がなければうちの母だって孤独死なんてしなかったと思います。父だって生まれも育ちも南相馬でわけわからなくなるような時に横浜に来て、連れて帰れなくなるとは、本人も夢にも思ってなかった。好きで来たんじゃないんです。


司会者:ないっていうことなんですね。それは政治の場でもっと解決しなければいけないことだと思いますが。


避難者:タダで住みたいとは思ってないんです。もちろん所得に応じてお支払します。だた、どこか住めるところが確保できればと思ってきました。


司会者:いろんなご事情の方がいるので、もし他の方で、こういう事情があるという方がいればお話しませんか?